2010年09月11日

教科書では大名(藩)の財政破綻や武士の生活困窮は記述されても,その原因,特に歴史背景としての(間接的)原因についてはほとんど説明されていない。参勤交代や普請など,幕府が各藩の支出増大を目的として政策的に大名への負担を強いたことや,商品経済の浸透と飢饉などによる年貢の停滞などが理由として簡単に記述されているだけである。参勤交代は江戸と領国の二重生活による負担増だけでなく,拝領地なので地代はいらないが,上屋敷・中屋敷・下屋敷と広大な江戸藩邸の維持も大変な出費であり,また石高(家格)による従事させる家臣数や支度も膨大な出費となる。また,江戸での生活では,付届けや献上品,手土産,歓待など日常の付き合い,家臣や小者などへの給金などにも費用がかかっている。これは,大名だけでなく家臣も同じであり,旗本・御家人も同様である。

収入の増加が少ない割に支出が増大していったのが江戸時代,特に中期以降である。凶作による年貢減少,幕府からの普請命令,物価高,消費生活費の増大など,幕府・藩・旗本や御家人・家臣の財政難は深刻であった。しかし,家格に応じた格式は守らなければならず,それに伴う出費は致し方なかった。それでも,幕府や藩は経費の削減と商品作物・特産物の専売制や商業政策による増収をはかる改革を断行し続けた。しかし,成功した例は少ない。岡山藩もまた失敗している。

ただし,これらの舞台が「江戸」であり,各藩における政治社会体制や支配のしくみ,城下と郡部(農村部)の実態などとは異なることの方が多いと思う。もちろん,幕府の政治や江戸の行政組織,武士の格式や庶民の日常生活などについては,模倣(参照)も流行もあったと思うが,末端組織や地方行政などは近隣の幕府領における代官支配とも異なる独自性は強かったように思う。

岡山県でも,備前の岡山藩,美作の津山藩・美作勝山藩,備中の庭瀬藩・芦森藩。生坂藩・浅尾藩・岡田藩・鴨方藩・備中松山藩・新見藩の諸藩があり,幕府領も点在していた。藩の形態はほぼ同じであって,石高・家臣の数・領地の規模などの違いから職制だけでなく支配の実態も異なり,独自のものがあった。この意味において,穢多・非人など雑賤民(被差別身分)の実態や支配体制も異なっていたと考える。

幕府権力は,中世以来の支配システムを改良しつつ,その当時の実態に即して,家臣である武士はもちろん,民衆を掌握・支配する体制を構築していったと考えている。その方策として「身分制度」があり,その支配・統治・収奪(収集)の一端として「治安維持」「皮革業」「雑業」を穢多・非人などの雑賤民に負担させたと考えている。つまり彼等を「機能的集団」として掌握していったのである。そのあり方・社会的位置づけが,その地方(各藩)によって独自性をもっていたと考える。

歴史の個別研究をおこなう際,その前提として通史的な全体把握とともに,現代の価値観や認識とは異なる各時代の社会観や認識を理解しておく必要がある。たとえば,衣食住など日常生活,物価,税体制,さらには各時代独自の社会状況(身分制や支配体制など)を把握する必要がある。

posted by 藤田孝志 at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 江戸時代 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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